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メディアというからには、レッキとした業界を意味する。取り敢えずは(放送の)とご理解頂きたい。この國でラジオが始まって七十数年。テレビに至っては僅かに五十年の歴史しかない。新聞、雑誌という出版物しかなかったこの國で、放送は全く新しい「文化(のように)」受け取られ、カナダの山火事なみに人々の間に急速に拡がって行った。そこには試みがあった。実験があった。鏤骨砕心(ルコツサイシン)の作品が火花を散らして競い合った。やがて燃えたぎった制作意欲のマグマが、バブルの崩壊と時期を同じくして急速に冷えはじめ、国内のチャンネルはどうしようもない倦怠期に突入した。安上がり知恵抜き手抜きの番組がブラウン管を埋め尽くし、芸も何もないタレントと称する部類が軒並みに媚びを売り始めた。「放送は娯楽ですから」という言い訳が、大手をふって通用する時代になった。メディアはどこへ行くのか。本気で心配し始めると眠っているわけにはゆかなくなる。心配だけで十二支腸潰瘍になる。大正漢方胃腸薬に任せておける問題ではない。要は、放送を造り出す人間の問題なのである。
幸いにして我が周辺には、「コレデハダメダ」「気合いの入った番組を作りたい」という、放送の本質に迫り続けたい、つまり放送世界のシーラカンス人間が遊弋(ユウヨク)していて、なぜか奇しくも「釣り」にハマリこんだ。これが今回のFMA結成の知られざる裏面なのである。放送についての純粋理性批判はこの辺にしよう。そうしないと釣りに行けなくなるではないか。
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