2002年6月9日、この日は私にとって生涯忘れ得ぬ一日となっている。得難き友、挫折、恋、そして裏切り。一日の中で人生における重要なことをいっぺんに経験した。もしかしたらあの日、私の青春は終わってしまったのかもしれない。時間の流れは残酷だ。あれから3ヶ月の年月を経た今、私のお腹にも年相応の贅肉がついた。彼らは一体今どうしているのだろう。目を閉じるとあの日と変わらぬままの笑顔が浮かんでくる。

そう、あの頃のような友には二度と出会えない、誰だって・・・。

シマノ ジャパンカップ 磯 九州大会 A
Text by Barou & Klaris
5月中頃、私の自宅に一枚の封書が届いた。封筒の表にシマノのロゴ。待ち焦がれた便りの到着にホッとしながら封を開いてみると、「抽選の結果貴方様の出場が決定いたしましたのでご連絡します」という文書と共に大会参加申込書が同封されている。いつの間にか封筒を握る手が汗ばんでいた。大会への出場が一気に現実味を帯びてくる。私が未だトーナメント参加経験が無いという事実。先日の鱗海カップでタシケン氏があわや決勝に残るかも知れないところまでいき、レンジもそこで初チヌを釣り上げているという事実。それらの事実が自分のなかで勝手にプレッシャーとなり膨れ上がっていくのを必死で堪えた。そう、私もいよいよトーナメンター。シマノ・ジャパンカップに出場するのだ。

そして大会当日、私は九州A会場である平戸、宮の浦へと来ていた。実のところ練習のために前日からここへ来ていたのだが、あまり私にとって実りあるものではなかったのでここでは記さないことにする。

6月9日、クロ釣り大会の日がやってまいりました!参加メンバーはクラリス、タシケン、バロの3名。まるでクロ釣りの練習をしていないのに、ぶっつけ本番でジャパンカップ初参戦であります!タシケンに至っては寸前までチヌ様一本ヤリ、まるでトーナメント独特の緊張感はありません。
ゼッケンはクラリスが13、タシケンが40、バロが44と不吉な数字で揃えてみました(爆)。これ、受付で申請をしてからランダムに封筒を選んで決められるものです。ゼッケンを格好良く取りつける方法をHACさんに教えて頂き、早速、タシケンがライジャケに取りつけている模様。前と後ろに付けるようになっているゼッケン、実際は後ろがハッキリ見えればいいワケで、後ろだけ切り取ってクリップで直接取りつければいいのです。そのクリップもHACさんに頂きました、ありがとうございます!!HACさんとは「博多アングラーズクラブ」の会長さんでネットの掲示板で知り合った年上ですが生粋の博多っこです。今年の大黒流れのT台上がりUを担当されているそうで、大会が終わるや寄り合いに参加するため博多に帰らなければならないとのこと。いやはや多忙な方です(汗)。
さて、大会本部前での説明です。朝の6時から12時まで釣りっぱなしの楽な予選のようです。更に夜明けの時間が早くなっているので30分早めの出船となり更に実釣時間は長くなりました。とはいっても、何時間あってもクロが釣れる保証も自信もございませんが・・・。
初参加の鱗海カップの時は徳山という未知の瀬戸内フィールドで緊張も高かったケド、今回は平戸宮ノ浦ということもあり、シマノ・インストラクターで「浦島太郎釣りクラブ」の渡辺さんの姿も見られ妙にリラックスした雰囲気。って言うか、ホンマに出ていいんかいなって感じでありました。
一応、真面目に説明を聞いている私とバロくんです。バロくんはトーナメント初参加ということもあり緊張しきっている様子。この後、瀬渡し船で磯に向かいました。さすがのタシケンも試合中はまるで撮影していませんでした。
私は上阿値賀の北のハナレ近くに上礁。ゼッケン12の山崎正隆さんと和やかな釣りとなりました。このお方も強者でジャパンカップ、グレマスターズ、G杯、サンラインカップ、マルキュー等々、殆どのトーナメントに参戦されている恐るべき釣り師でありました!そして、私が前回玉砕したゴールデンカップにも出ていらしたとのこと。妙に和んでしまいました。途中、瀬渡しがやってきて磯変わりすることになりましたが、結果は案の定ボーズでござんした(涙)。大体、五島で寒グロっちゅうヤツを偶々釣った程度の腕で何を狙えっちゅうねん!!タシケンのように一投目にいきなり釣れるようなラッキーでもないかぎり釣れるワケないっつうの!

早朝、始めての大会受付に向かう私はずいぶん緊張していた。周りの人たちが皆とても上手そうに見えて、何となく受付に行くのを後込みしていた。そんな私の隣をタシケン氏が悠然と通り過ぎ、(まだ2回目の大会でるにもかかわらず)すでに慣れた様子で封筒を選んでいたので、あわてて私も彼の後に続く事にした。申込書を見せると20部ほどもある封筒の中から一枚を選べという。私はそれが何なのか知らなかったので、あまり深く考える事もせずに一番手前の封筒を手にした。そうして私に与えられた番号は44番、これが後の結果を大きく左右するものだとは当時の私には知る由もなかった。

この大会には私とクラリス氏とタシケン氏の三人がFMAから参戦していた。始めてのトーナメント出場である私にとって、共に戦う仲間がいることはとても心強く、普段釣り場ではライバル関係にあるタシケン氏もこの日は同じクラブの先輩トーナメンターとして私に様々な助言をしてくれた。何しろ彼は鱗海カップで2匹ものチヌを釣り上げた男だ。

開会式(というより大会説明)のあと、先ほどの番号のゼッケン順に指定された船に乗り込むことになった。そういうことならもう少し慎重に番号を選んでおけば良かったと後悔したが、結局そうしていたところで大して変わらなかっただろう。タシケン氏は私と4つ違いの番号で同じ船だったのだが、クラリス氏はかなり番号が離れていたため別の船になってしまった。短く健闘を祈り合って別れる。誰よりも勝負にこだわるクラリス氏だけに、その背中からはこの大会にかける気迫がにじみ出ていた。

私とタシケン氏が乗ることになったのは丸宮釣りセンターの船で、これは宮の浦釣行の時はいつも利用している船で、船長も知っている人だったのだが、他の参加者やシマノの係員も乗り込んでいたので、気軽に「私を良い場所にあげてくれ」なんて話しかけれるような雰囲気ではなかった。参加者の数が多いためまさに手当たり次第、という感じでどんどん磯にあげていくのだが、その場所に不満をいうことは許されない。どんな場所であろうともそこで結果を出さねばトーナメントでは勝てないのだ。私はこの時始めて実感として大会の厳しさ、というのを知った。

番号の若い順に次々と船から降りていく。志々伎まで来たときいよいよタシケン氏の順番になったのだが、あと一人、というところで、船は反転し大きく進路を変えた。結局タシケン氏は頭ヶ島の正月カブセのすぐ隣、というなかなか良さげな場所へと降りる事になった。あのまま志々伎で釣るよりはよほどいい場所だ。全く、この人の悪運は尽きることを知らないのだろうか。この世に神がいるとすれば彼はタシケン氏をずいぶんとお気に入りのようだ。

頭ヶ島をぐるり、と回り込み船が大きなワンドの中に入っていったとき、「42番から44番」、というスタッフの声が響いた。 とうとう私の番。抑えようもない興奮に若干舞い上がりながら、バッカンとロッドケースを手に磯へと降り立った。
“何としても釣らねばならない”
あのときの私はそれしか考えられかった。